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いつぞやリツイートしたやつ。
偏差値の高い受験生は大学生になったら家庭教師のバイトとかで荒稼ぎしたいってみんな思ってるけど、さっさと居酒屋とか肉体系のバイトを経験した方がいいよ。あれを全く経験しないで社会人になるのは色々まずい気がする。下手すりゃもう二度と経験できないし。 後は居酒屋って店によってはサービスが微妙な所もあるんだけど、中で働いたら文句言う気も失せる。飲食系の店にケチつけてる人は人の気持ちが理解できない人とか受けとられるかもしれんから気を付けた方がいい。大学一年生は天狗になってる人多いから特に。 本当にこのとおり。まえに飲食店で働いていたことがあるが、内部事情はグダグダだったりする。 たとえば、注文したものがなかなか来ないからと、混雑時にもかかわらずクレームをつける客がいる。しかし厨房の処理能力には限界があるので、大量の注文がくるとパンクしてしまうことがある。当然時間をかければ大量の注文でも捌くことはできるが、時間がかかると「遅い!なにやってんだ!」とクレームがつく。そういう「どうしようもない状況」というのが存在する。 どんな飲食店にも能力に限界があることは知っておいたほうがいい。クレームをつけてみたところで効率は上がらないし、料理は出てこない。店が混雑していて、注文したものがなかなか来ないときは気長に待つしかない。 それから一度飲食店で働いてみると、「店員から見た客」という視点を持つことができる。どういうことをすると「迷惑な客」になるのかは、実際に接してみないとわからない人にはわからないだろう。 ついでに、店にやってくる客は本当にいろいろな階層の人たちがいて、同質的な学生が集まった世界しかしらない大学1年生が接したらきっとカルチャーショックのようなものを受けると思う。 世の中には自分の考えがまったく通用しない異星人みたいな人たちがある程度存在する。そういう人たちは異質なのではなく「多様性がある」と言うべきだが、知らずに大学を出てしまうと、ものすごく不快感を覚えるかもしれない。 多様な人との接触に免疫を持つという目的でも、飲食店で一度は働いてみるといい。
…生物学の時間に教師が問うた言葉を思い出す。…生命とは何か、皆さんは定義できますか。
私はかなりわくわくして続きに期待したが、結局、その講義では明確な答えは示されなかった。(p.3) 生命とは何か。換言すれば、生命のもつ独特さを特徴付けるものは何か。本書は、生物学者の福岡氏が個人の体験をおりまぜつつ、生命の「独特さ」を考察するものだ。 近代の生物学の変遷―――ウイルスの発見、DNAの発見、動的平衡の不可思議さとの出会い―――を挙げながら非常にわかりやすく解説してくれている。またこの手合いの文章ではおざなりになりがちな文学的な表現も多く、筆者の「奥行き」を感じさせてくれる。 生物学の発展も興味深いが、あとがきに残されている筆者自身の幼少期の体験もおもしろい。住宅のはずれでトカゲの卵を見つけたので持ち帰り、観察していたが、一向に孵化する気配がない。そこで幼少期の筆者は、トカゲの卵に小さな穴を開け内部を観察することにした。確かにそこにはトカゲの赤ちゃんがいたが、筆者は取り返しのつかないことをしたと気づく。殻を閉じても元に戻るわけではなく、トカゲの赤ちゃんは徐々に腐っていった、というくだりだ。 この体験は長い間、苦い思いとともに私の内部に澱となって残った。まぎれもなく、これは私にとってのセンス・オブ・ワンダーであったのだ。それはこうして生物学者になった今でも、どこかに宿っている諦観のようなものかもしれない。 生物には動的平衡があり、一度定まったものをあとから変更できない。まさにこの本の生物観は、筆者の個人的な体験と対応しているのだ。あとがきのエピソードまで読んだとき、本書の内容は非常に立体的なものになるだろう。 ところで、私はウイルスに興味をもっている。ウイルスは無生物の特徴を持ちながら、自己の複製を行う生物としての振る舞いもする。なぜこのようなものが存在するのか疑問だ、というのが理由だ。残念ながら本書でのウイルスの記述はわずかであったが、まったくの門外漢である私に、ウイルスに迫るためのヒントを残してくれたと思う。 出典: 『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一著 (講談社現代新書、2009年)
保全のため更新。
『生物と無生物のあいだ』を買った。まだまったく読み進めていないが、自然科学の本はワクワクする。 新書らしくセンセーショナルな煽りが帯に書かれている。どれほど面白い本なのか、読者に喚起するのがうまい。こういう新書は門外漢への説明のために、専門的な事柄は端折ったり、説明を変えたりしていて、「この本の内容は間違っている」と批評されることがある。 しかし新書レベルの書籍に、学問的な正確さは求められていない。読む俺だって専門的な知識はゼロなんだから、なにが正しくて何が間違っているのかなんて判断つかないし、間違った知識をもったとしてもすぐに困ることはなさそうだ。欲しいのは、知的好奇心を満たしてくれる手軽な教養だ。
ものを作るというのは大変なことだ。自分の能力と残り時間とのギリギリのところで走り続ける必要がある。簡単そうに見えることでもとても時間がかかってしまったり、知らない・できない事が多くて途方に暮れることもある。そんな時は、自分の未熟さに気がつくときでもあるのだが。
ものを作る理由は、やはり使ってくれる人がいるからだろう。自分が苦心して生み出したものが誰かの役に立つ。これはなんとも言えない喜びがある。この年でそんな簡単なことに気がつくなんて、いままでやってきたことがいかにヌルい仕事だったか、自分で恥ずかしくなる。 さらに作るだけでは終わらない。作ったあとの反省がいる。モノが出来上がっただけで満足して、改善をしない、次のモノづくりに繋がらないというのは避けたい。今回手間取ったのは何か、自分の技術か、作ったものの流通や利用か、問題はどこにあるのかを把握してから次に行きたい。 つまりね、資料作り終わらないです^p^
いままで使ってきたPCが古くなってきたので、今回、AcerのAspire AS5750(AS5750-N52C/K)を買った。商品が到着してから1週間たったので、レビューを簡単に書いてみたい。
主なスペックとして、OSはWindows7 Home Premium (64bit)、CPUはCore i5 2410M 2.3GHzを搭載している。メモリとHDDはモデルによって違うが、本モデルはそれぞれ2GB、320GBだ。 まず長所。 コスパの良さ いま価格コムで見てみると4万円を超えているようだが、買ったときは3万4000円だった。ミドルクラスのPCが4万円を切る価格で買えるというのはありがたい。 USB3.0を搭載 新規格であるUSB3.0対応のポートをひとつ持っている。端子の色が青なので区別しやすい。いまだこの恩恵にあずかってはいないが、そのうち使う日が来るかも? デザイン 天板がザラザラした印刷になっている。パームレストの部分もザラザラしたつくりになっている。プラスチックの安っぽさを消すための工夫なのかもしれない。好みはわかれるかもしれないが、国内メーカーにはない斬新なデザインで気に入っている。 次に短所。 本体の剛性 コストダウンのためか、本体の剛性が心もとない。天板は押すと少しへこむのがわかる。窓からふく風がちょうど液晶パネルに当たる位置にPCをおいて使っているのだが、強めの風が吹くとパネルがゆらゆら揺れる。ヒンジもあぶなっかしい。 バックスペースキーの位置 キーピッチは前のPCより広めだが、これは慣れの問題なので大目に見るとして、難点なのはバックスペースキーの配置だ。最近の流行よろしく、テンキーが横にくっついている。バックスペースキーがそのテンキー左上のNumLockに隣接する形になっているのだが、2つのキーの間隔が狭いため、バックスペースキーを押すとNumLockも押してしまうことが多々ある。テンキーとキーボード部分はもうすこし間隔を開けたほうが良かった。 USB端子の配置、ポート数 先に紹介したUSB3.0のほか、USB2.0端子が2つついている。このどちらも配置が良くない。PC本体側面の手前側に付いているため、USBに何かつなぐと邪魔になってしまう(有線マウスを繋いでいるのでよくマウス側の端子が手にあたってしまう)。DVDマルチドライブが本体奥側にあるが、USBとマルチドライブは逆の配置のほうが障害が少なくて良い。 また、ポート数が計3つしかないのは少ないと感じる。コストダウンのため個数を減らしたのだと思うのだが、USB3.0に対応した機器が現状少ないので、2.0のポートが4つは欲しかった。 以上、長所と短所を書いたが、全体としては満足のいくつくりになっている。前のPCが12万以上したことを考えると、良い時代になっていると思う。
BenQの液晶モニタE2420HDを買って3か月近く。ブログ保全もかねてレビューしてみる。iPod touchでとった写真なので画質が荒い。
E2420HD外観。 ![]() モニタはアンチグレアなので艶はない。完全に箱○専用機になってしまっている。 このモニタの特徴はとにかくおまけが多いこと。 ![]() フルHDでHDMI入力端子が2つ、USB入力端子も付いており、スピーカー内蔵。価格はこれで2万を切る。良い時代になったものだ。ま、一番のお遊びはヘッドフォンハンガーだと思うが(顔にしか見えない)。 ![]() コントロール部拡大。 ![]() 上から、プリセットでの明るさ切り替え、メニュー、音量調整、明るさ調整のボタン。プリセットで明るさは何通りか選べるが、一番落ち着いて見えるエコモードしか使ってない。あとは明るすぎたり、色味が気に入らなかったりする。 起動中の写真を数点。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 画質がアレなんでひじょうに汚く見えるが、実際はとても綺麗だ。さすが次世代機と思わせるだけはある。AC6は光の表現が美しいので、HDMIで見るととてもよく映える。 以上。良い買い物でした。
さて、真面目にブログの方も更新せねばなりませんね。
最近買った液晶のことでも書こうかな?
3月末、大学を卒業した。
卒業したから何がどうなったということはない。とくに変化はないし、実感はない。だいたい4年次なんて幽霊学生のようなものだから、卒業する前から卒業していたといってもいい。 大学と春といって思い出すのは、空気の匂いと、うららかな陽気と、バスにゆられて見えるキャンパスと、生協の薄暗さと、教養講義を受けるためにごった返す新入生。そう、これは1年次の記憶だ。4年も前の記憶をいまもよく覚えている。 入学したときは「身を立ててやろう」くらいのつもりでいた。的確な知識を身につけ、「審美眼」を養い学問の山を登っていく。行き着く先は、賢人。それが山の頂上だった。 右も左もわからないまま、思うように泳げなかった。気がついたら溺れていた。溺れても、気がつかないふりをしていた。笑わば笑え。 「じゃあなんだったのか」と言われると困る。「何をしていたのか」と言われると俯くしかない。今でも曖昧にしか目標を言えないのだから、くじけて当然とも思う。自分のしたいことに正直で、まっすぐにすすめる人たち。彼らがとても、羨ましい。 大学を出た後、そういえばしたいことはない。大学に行くための人生だったか。いや、平穏無事に暮らしたいだけだ。
ゼロは東洋と西洋との争いの中心にあった。ゼロは宗教と科学の争いの中心にあった。(p.9)
ゼロとはどういうものか。無限の入り口に横たわり、同時に無をあらわす。ゼロはそんな不思議な数字だ。 ネットサーフィン中にたまたま知った本だった。『フェルマーの最終定理』を読んだ後ということもあって、数学の薀蓄を増やしてやろうというつもりで読んだ。数学と宗教と強く結びついていた古代世界のから始まり、現代の先端数学・物理へと話はつながっている。 ゼロの発生が宗教と関係があるのは興味深い。西洋文明は神を否定することになるからゼロを拒絶し、反対に、東洋文明は教義に沿うからゼロを生み出した。宗教が絶対的なのは特定のコミュニティ内だけで、コミュニティの外側に対しては相対的であることを示唆するエピソードだ。 惜しむらくは、同じ数学を扱った翻訳本の『フェルマーの最終定理』と比較するとやや読みづらいことか。翻訳文の"それらしさ"がでてしまってすんなりと頭に入らない。文章中にダッシュがたびたび出てくるが、日本語の感覚からすると捉えにくい。 出典: 『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 チャールズ・サイフェ著 林大訳(ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2009年)
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